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2006年4月

ガメラ

娘のダンスを見に行ったらガメラいた。ずいぶんと久しぶりなのでちょっと挨拶に行った。ガメラが世に出たのは40年前。3作目の「ガメラ対ギャオス」を映画館で見たときは驚愕した。ゴジラにせよウルトラマンにせよ空想の世界なのに、ばかでかい亀が火を吹いて空を飛ぶという非日常性は、身近に亀を飼っていた小学生を木っ端微塵にしたわけだ。ガメラがギャオスをくわえて富士山を登ってゆく場面は脳裏に焼きついて忘れられない。Sa310022_1

今日会ったガメラは、想像以上に小さくかわいらしい顔だった。映画のCMよろしくトレーラーに縛られ、なんとも哀れな表情である。こどもの頃にすりこまれた世界をいまだに引きずっているので、そんな風に思ったのかもしれない。私にとって、ガメラはかなり衝撃的に映っていたのだろう。

今のこどもは、こんな世界を持っているのかな?と、ふと思う。私の場合、こどもの頃の夢や創造の世界は、おとなになる時の栄養になっていた。CGをふんだんに使った映画、スーパーリアリズム、バーチャルワールド、、、、、、等々、現実と空想の境界が限りなく不明瞭な世界で、こどもはそれ以上の夢を持ったりや創造をしたりすることができるのだろうか?

写真を撮ろうと、回って行ったらトレーラーに「安全第一」と書かれていた。きっとこのガメラは「安全」に違いない。

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パソコン

19歳の時にシンセサイザーを買った。といっても自分だけで買ったわけでない。バンド4人で決めた。夏休みにバイトして一人5万稼ぐこと。5万X4人=20万。当時にしてみれば大金だ。御茶ノ水の楽器屋街に出かけて購入。Roland社製のSystem100M。いまだに忘れない。でもって弾くのは自分である。なんとも気前のよい仲間を持ったものだ。半月下宿に閉じこもっていじっていた。まだアナログの頃だから、波形からフィルター~増幅までケーブルでつないで音を作る。今から考えれば果てしも無く原始的だ。音の3要素から各部の構造、接続方法など頭に叩き込む。最先端の楽器だから、いざ演奏すると学校で評判になった。1年生なのに大学の学園祭ではトリ。先輩が教えを乞いにきたりして、鼻が高かった。それも一瞬で終わる。あっという間にデジタル化が進み、高性能で安価なシンセが世を席巻する。後輩が次々に新製品を買い、音を作ってゆく。その後時代はコンピューターミュージックへと移り、有り余る時間を遊んでいた学生時代が終わった。

やがて所帯を持ち、こどもらが小学校に上がったころ生活が落ち着き、頃良くインターネットが整備され始めた。道楽者は年をとっても絶対に治らない。パソコンが欲しいが、当時20万。学生時代と何故か値段が変わらない。しかしそこまで生活を切り詰める余裕など無く、あきらめていた。それに「コンピューター」というと音が出ないと気がすまない。だいだいそんな物をこさえるメーカーは無かった。

無いんだったら作ってしまえ。

女房を説得し、へそくりを携えて、いざ秋葉原へ! 通いなれた「けもの道」を半日歩けばナントカなってしまうから不思議だ。パソコンを作るというと固まってしまう人が多いが、プラモデルと何ら変わりない。音楽仕様のパソコン作って8万で上がってしまった。これが貧乏人の知恵。今ブログを打っているパソコンは4代目。4台ではない。徐々に部品を高性能なものにしているから、買い換えなくてすむ。環境にやさしいかな?

おとなの遊びも許される範囲だったら面白い。「飲む」「打つ」「買う」より生活や家庭にヒビが入ることはまず無い。

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うた

こどもまつりで久々に自分の曲をきいた。みんな結構忘れないもんだね。と感心。西瓜テントから外を見ると、口ずさんでいる人発見。中学生がうたってる。教えたっけ? 声は聞こえないんだけど、口の動きでわかっちゃう。向こうのほうでおとなもうたってる人あり。見たことあるけど知らない人だった。へぇ、、、、、歌が一人歩き始めたのかな? 作ってしまえばそれきりだけど、伝わり始めるとおぼえてもらえるらしい。創作の快感はここにある。音楽は無形物だから、よけいに面白い。有名な絵画や彫刻は、ン億円という途方も無い値段がつくけど、いくら有名でも音楽には値段がつかない。可視化されればさぞかし楽しいだろうね。音「楽」になる。ふつふつと考えると結構責任重大だ。妙な曲つくれんぞ。

本日は、2桁のアクセスにビックリ。おもわす2度目の書き込み。大丈夫だよ、鳴音ちゃん。ここは「自由帳」なのでどんどん「落書き」してっってください。

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こどもまつり

またミュージカルが始まるので、観察とばかりに出かけたのは良いが、足腰が痛くなってしまった。楽しそうなので「人間狩り」に初参加。4年生くらいまでだったら誘拐?できると発見。わーわー言いながら、こどもを狩りまくる。ギター弾くのに爪を伸ばしているため取り合いになるとお互い怪我をするので、そうなったらさっさとあきらめる。おとなを助けに行って見事に捕獲された。こども5人にたかられると、さすがに負ける。抵抗したもののいさぎよく陣地へ同行してしまった。久しぶりに楽しい。しかし体力がほとんど無い自分を忘れており、年甲斐も無く無邪気に遊んだら、あとの祭りだった。「こどもまつり」の「あとの祭り」はきっと「明日の祭り」になるだろう。筋肉痛が待ってる。会社いきたくねー。

会う人々がブログの話をする。??ん?。想定外。アクセスログを見ると結構な数字が。意外と見てるのね、、皆さん。足跡くらい残しましょう。無記名、アドレス等未記入でもOKですから。

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もう葉っぱだけになったので、誰も桜など見ない。散ってしまうとそれが桜だったか?なんておぼえいない。人間なんていい気なもんだ。だいたい植物というものは、先に葉を出してその栄養を花や実にするが、何故か桜は花が先。ということは幹に蓄えていた養分を花にするわけだ。だから満開の時、桜は栄養を使い果たして瀕死のはず。その下で人は「花見」と称して酒宴を繰り広げ、醜態をさらす。桜にとってはなんと残酷なことだろう。相手が桜だからまだいい。

中世ヨーロッパでは、上流階級の人々が有り余る財力で食物を取り寄せ、貧しい少年少女を金で買っては、おぞましい酒池肉林の宴を毎晩のようにくりひろげていたという。人間の奥底に潜む「悪魔」は時として顔を出す。それに気がついて自力で戻れれば良いが、無意識のうちに出てしまって収集がつかなくなると大変なことになる。だから自分自身で自分自身をコントロールすることを「理性」と呼ぶ。「理性」は自分で作るもであり、他人から与えられるものではないので、年齢とともに「理性」は増えてゆかねばなるまい。

考えすぎると落ち込みそうだ。

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二日酔い

先月友人が亡くなった。遠方のため誰も葬儀に行けなかったので、学生時代から入り浸っているLive Houseで集まり、弔いを開いた。懐かしい顔がいっぱいだが、一応に皆年を食っている。飲み始めればいきなり20数年前と変わらない空気になるから不思議だ。故人はラッパを吹いていたので、追悼セッションが始まる。ステージには遺影とビールの大ジョッキ。そいつのラッパはカラッとした明るい音だった。その音より明るい性格だった。だから湿っぽい場にならない。乱入してピアノを弾いた。ジョッキのとなりの写真は笑っていたので、私も笑いながらピアノを弾いていた。久しぶりだ。感覚が蘇ってくる。体をこわしてから外で酒を飲む機会は無かったので、つい飲みすぎる。オーストラリアから電話がかかってきた。こいつも本当は来たかったんだよ。かわるがわる皆で長話。電話代かかったろうね。大阪からやってきた後輩もいたり、卒業以来の顔もあったりで、気がつけば2時。やべーーー!明日はADの試験日。脳みそがバーボン漬けになってる。

でも今朝めげずに試験に行った。これで合格してりゃ奇跡だ。5時間も答案用紙と戦ってきてデロデロになってしまった、、、、、、、、、、。

このブログの二人目の訪問者「おきょー」。彼女もブログを作っていたのを発見。

少し元気になった。寝よ。

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秋葉原

公私共によく足を運ぶ街である。と書くと最近「アキバ系」などと呼ばれてしまう。雷に撃たれたせいか?電気類が好きで、学生時代からよく通っていた。軽音楽部に所属しており、舞台音響機器を作っていたので、一般の家電店とはかなり趣の異なるディープな店によく顔を出していた。店の頑固親父との値切り話など、若気の至りとはいえ楽しい思い出だ。部品ひとつ買うにも、頑固親父と戦える電気知識が無いと値切れない。ただの若僧ヅラで話しかけるとカモネギになってしまうので、理論武装で出かけたものだ。しかしいったん話が会うと色んなことを教えてくれるのでありがたい。こっちはただの貧乏学生だから安ければよいと思うのだが、品物の薀蓄を並べ、良し悪しを教えてくれ、結局目当ての物より良質な部品が予算内で買えたりする。最近はそんな親父もとんと減ったなぁ。この間も会社の用事で買い物して「領収書」って言ったら怒ってたよ。そんなもん自腹で払え。領収書の紙の値段のが高けぇって言いやがる。そりゃ確かに買ったものは240円だけどね。もうあの頃通ってたところは場末だもんね。しょうがないか。路上じゃメイドの格好したおねーちゃんがチラシ配ってて、でかいビルが幾つも建って街も変わった。音響関係の店もかなり減ったし、話のわかるPCのパーツ屋も閉店が相次いでいる。若い店員さんも当たりハズレがあって、知ってる店員はやたらと詳しいけど、へんなヤツに話しかけるとあさってのほうから答えが返ってきたりする。秋葉で働くんだったらもちっと勉強しなさい。

中央通りから神田明神通りへ曲がったちょっと先へいつも立ち寄る店がある。綺麗な店だが客はあまりいない。ズラーっと並んだ高級ヘッドホンを手にとると店員さんが椅子を出してくれる。心行くまで試聴ができる。ここだけだなぁ落ち着くのは。息子とよく行った万世橋の交通博物館も来月で閉館。思い出が無くなっちゃうのって寂しいね.。

春とはいえ、今日は寒かった。

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さて、桜も終わりに近づき、春も盛り。子どもらはそれぞれ進級し、会社では新入社員が似合わないスーツ姿でウロウロしていたり、世間では妙な事件ばかりだったり。なんだか身辺があわだたしいなぁ。この時期になると、体が悲鳴をあげる。前のブログに書き込んだ翌日から体調不良を起こし、数日動けなかった。これも春のせいだろうか?

今日は、春雷である。昼過ぎからガラガラと雷が鳴って空がピカピカ光っていた。女房は買い物へ出かけ、息子は始業式。大丈夫かね?と心配しつつも、私は雷が嫌いだ。二十歳の時に雷に撃たれたことがあり、それ以来避けている。学生だった私は、夏休みのバイトで稼いだ金で与論島に遊びに行った。山育ちの私にとって、初めて見た眩しいほどの白い砂浜や見渡す限り広がる雄大な海は刺激的だった。水平線と空の区別がつかないほど青い遥か彼方に積乱雲が見え、微かに稲妻が見えた。こんなの見るのも初めてだった。初めてだったからずーっと見ていたら雷雨の中にいた。いよいよ、とばかりに引き上げたが民宿の軒先で懲りもせず見ていた。あまり気持ちが良いので、部屋からシャンプーを持ち出して「天然シャワー」とばかりに頭を洗う。仲間が心配したとたん、目の前が真っ白になり気がついたら部屋で寝ていた。腰まで感覚が無いほど痺れている。確か回りには七人いたはずなのに何故か私だけ雷に好かれたらしい。どうやら履いていた下駄に来たようだ。安い下駄だったから鼻緒を釘で止めてある。ほかの連中はビーチサンダルを履いてたから嫌われたのだろう。とりあえず体を拭き頭を拭くと、ビックリ!!タオルが毛だらけ!! 感電するとこんなに抜けるものかね??? しかし良く生きていたものだ、とその夜は祝い酒。民宿の親父は漁師なので、とれたてのイカの黒づくりを振る舞い、島の焼酎を共にあおった。言うまでも無く翌日の昼まで記憶が無い。

以来、冬になるとやたらと静電気に苛まれる。まさかそれが原因じゃないよね、、、

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