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2006年5月

Burn in

昨夜は、今日の「音響ワーク」の仕込みを深夜2時頃までしていた。
が、今朝は6時過ぎに目が覚めてしまう。習慣というのは恐ろしい。
朝食後に、一昨日アキレス腱をいためた娘に包帯を巻いてやる。今回のミュージカルではお目当ての「役」がほしいがゆえに根性が入っているのか? 私はといえば、半分以上寝ている。引きずるように娘を連れ、重たいかばんに背負われながら?事務所へと居眠り運転で出かける。早く着きすぎたようだ。
ワークの生徒?はこども2人とおとな2人。音響機器は、結構な量の電気を使うのでたっぷり脅かしてしまった。漏電、過電流からの感電死の話や、ノイズを聞かせたり、ハウリングの恐怖?を体験させたり、刺激タップリだったと思う。電気を扱う場合、順序を間違うと大変なことになる。こんなこと学校じゃ教えないだろうな~。しかも「やっちゃいけない」ことを平気でやってみせるおとなもいないだろう。「やっちゃいけないこと」は「やってみたくなる」のでその前実際に「やってみせる」とびっくりして「やりたくなくなる」のが人の心理(というか私の心理)。「安全」を教えることは「危険」を理解しいていなければならない、と思う。
しかし、その実験台になることは結構疲れる。2人のこどもの目に映った私は、先生になっていたらしい。まいったなぁ。神経が磨り減った。
カラカラのスポンジが水を吸い込むように、おぼえて行くんだね。きっと面白いワークだったと思うよ。

Burn in

2時間はあっという間に過ぎた。私は昼過ぎから「灰」になっていた。久しぶりに気持ちよく疲れた。

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Help!

登場人物が増えてきて、ブログも楽しい。
自分の歴史の中で大切な人は、老いも若きも、古いも新しいも関係ない。それぞれの人が現在の自分を創ってくれたんだなぁ、と喜ばしい思いがする。だからコメントへの返事はとても難しいので、のっけからテンプレートに書いてしまった。(私ってずるいな、、、)

さて、年齢とともに体が衰えてゆくのはしょうがない、とあきらめているが、あきらめきれない部分が一つだけあるんです。
それは「爪」。
なぜかというと、道楽がギターだからです。現在6本所有しており(家族はすでにあきらめています)気が向いたときに目のついたギターをぽろぽろ弾くのが唯一の楽しみ。
もともと爪は丈夫なほうではなく、ペラペラしてて、パリパリと折れやすいほう。若いときはそれなりに柔軟性があったので、伸ばしていても苦になりませんでした。
しかし、年とともに伸びる前に折れたり、中指の爪の真ん中から裂けてきたりとさんざんです。爪弾くどころの話ではありません。
なのでここ数年間いろいろとやってみました。

1.シアノアクリレート(アロンアルファのことです)を塗る。
2.Acrylic LiquidとAcrylic Powderで爪をアクリル化してしまう。
3.Calcium Sheldを塗るってみる。

いろいろやってみましたがきめてがありません。
恥をしのんでネイルアートの売り場に出没し、「実は娘に、、、、」なんという空々しい言い訳を唄いながら店員さんに品定めをしてもらって散財してしまう馬鹿親父です。
しかも塗るのは右手の4本だけ。それを左手で塗るのってめちゃくちゃむずかしい。
失敗を繰り返し、やっとできた、とおもいきや、弾いてるうちにボロっととれたりしてしまう。1曲弾けねーじゃねーかwwwwおう!おう!おう!
怒ってもしょうがないか。
アクリル爪は結構音が澄んでて良い。でもいいとこ2週間でポロ、、、、
何か良い方法はありませんか???
どなたかネイルアートをやっている人を知りませんか?
このお店が良いとか、この雑誌に書いてあったやり方が強そうだとか、私のお友達はネイルアーティストよ、、、とか紹介しください。
結構切実な問題なのです。
皆さんよろしくお願いいたします。

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Actor

「船をつくりたかったら、男たちに、木の集め方、板のつくり方、釘の打ち方を教えるのではなく、海へのあこがれを教えなさい」
という サン・テグジュペリの言。
いままで音楽を道楽として、こどもたちとミュージカルを作ってきた。と偉そうなことを書いたものの、私自身は特に専門的な教育を受けたわけでもなく、それなりの学校に通っていたわけでもない。雑草も刈り取られなければ、邪道という木になってしまった末路が今の自分。人に習ったことは人に教えることができるが、自分で経験として覚えたことはなかなか人に伝えにくい。なので曲にして持ってゆくのが一番だ。しかしそれはミュージカルという大海原へのあこがれを教えるには、いささか役不足である。大海原どころか、波打ち際でバシャバシャと戯れるだけで過ごしてきてしまったようだ。
劇団M.M.Cの天野さんのモクロミにどっぷりハマり、今回は役者になってしまった。音楽としてのカードはたくさん持っているので、その時々で切り札を見せて3年経った。稽古でこどもたちを観察し、舞台を創造し、ストーリーやその空気を読んで、自宅で作曲活動していたが、今度は、その場が全てLiveで相手が新鮮な「生もの」である。
野心満々の娘の本読みに付き合い、自宅で密かに練習すれど、口からは自分の言葉しか出てこない。役作りなんて、遥か彼方のその向こう。どうせ私はド素人と、さっさとあきらめ出るものを拒まずog3路線で進むことに決めた。
今度は、こどもたちと体当たりでミュージカルを作ろう。

と思ったものの、本日は、準備体操で脱落。ビシッ、グキッ、ゴリッっと体から音楽が聞こえる。カメラを携えたふみちゃんに「無理はしないほうが、いいですよ。」と優しい言葉をかけられ沈没。体育館のマットのうえで休憩。
さて来週もがんばるべ。

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アンバランス

人間は「電気」で動いている。またか、、、と思わないで欲しい。別に乾電池をしょっているわけでもなく、寝ているあいだに布団の中で充電しているわけでもない。中学の理科で教わったと思うが、筋肉も神経も脳からの微弱な電気がその命令を伝えている。ATP⇔ADT反応が熱を生み出すとともに、その化学反応でのイオン(大型量販店ではない)の電荷が体中を駆け巡っている。それは体表にも存在するのでは?と思う。赤ちゃんがお母さんに抱っこされると安心するのは、お互いの電気を感じ取ってるのではなかろうか。同じ抱っこでもプロレスや相撲だと互いに敵対する電気によって闘志が生まれるのでは?などどくだらなことまで考えてしまう。小学生も低学年のこどもは、何かにつけベタベタとまとわりついてくる。言葉として表現する手段が少ないから、自らの電気でわかってほしいのかな?
大きくなり伝えたいことが増えてくると、かえってスキンシップが邪魔になり、やがて思春期をむかえる頃には伝えたいことが多すぎて、どう表現してよいかわからなくなるのだろう。だから逆に無愛想になったり、とめどなくしゃべってみたり、時にはグレてみたり、肯定や否定を繰り返し、出口の無い迷路から抜け出せなくなる。実は私がそうだった。それを他人に知られたくないという自我もあり、よけいに妙な振る舞いをしてしまい後悔する。結局、親にも相談できるシロモノではないので、逃避という手段に頼ってしまい、放浪しているうちに降って湧いたような友人が救ってくれたりするもんだ。その友人が本日現れた。音楽に愛想をつかしてバンカラしてた大学1年の春に出会った。masyは、それまでの私の音楽観を根底から覆す人間だったのである。彼と(彼ら)バンドを組んだおかげで自由奔放な表現をおぼえ、腐ってた脳が蘇生した。第2の音楽人生はここから始まったと言っても過言ではない。
ミュージカル、見に来てくれるかな?
ね、もりちゃん。

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アイロンビーズ

Sa310022_4 クリスマスに娘に買ってあげたアイロンビーズ。
32色10000ピース。
作っても作ってもいっこうに減らない。色を見つけるのに面倒だ、というわけで選別を始めたらしい。焼き鳥用の竹串を箸がわりにして、チマチマと一個ずつ選り分けている。見ていると気が遠くなるが、何故か私以外の家族がこれにハマッている。娘→家内→息子までが、かわるがわる器用に竹串を使って選別作業に熱中しているのだ。一番早いのが息子だそうだ。今日で4日目。まだずいぶんある。いったい何がそんなに面白いのだろう。私には理解できない。

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お茶会

最近、ブログでなく備忘録になっていることに気がついた。だから忘れないうちに書きとめておこうと思う。

お茶会に参加した。中高生の集まりである。日ごろミュージカルで小学生と一緒に遊んでいる時間はあるが、それ以上の年代に接する機会は少ない。中2の息子でさえ家の外で野球以外に何をやっているのかさっぱり見当がつかない(だらしない親だ)。今日は運良く午後から仕事という名前のセミナーに出席していたので早々に切り上げ、駅前のコンビニでしこたま菓子を買い駆けつけた。矢のごとく飛んでくる「仕事メール」を掻い潜り、カレーを食う。

さて始まりか、、と思いきや、事務所のパソコンが壊れてしまったと理事長に拉致される。ここは本職なので、さらっとパソコン君の健康診断。NICごとデバドラが吹っ飛んでいると診断。仕事場だったらさっさと治せるのだが、往診のため医療器具を持参していないので後日再診ということで終了。

2階ではすでに始まっていた。

「笑学塾」

地元の名所、旧跡、歴史、有名人等々よくまぁ調べたもんだと体中からウロコが落ちる。私自身「移民」なのでこの辺は殆どが白紙。知っているのは、地元出身の有名人、長島茂雄、モンキーパンチ、BUMP OF CHICKEN(持ち歩いているPBに入れてあるjupiterとユグドラシルは、ほとんど唄えるかもしれない)くらいのもんで、藤木直人が近所だったなんて初耳だった。ここで得るものは大きかった。しかし惜しいことに発展性に乏しい。会の進め方がブレーンストーミングとKJ法の初歩だ。その場で指摘するのが実に簡単なことだが「おとな」の常識にとらわれ「場」をぶち壊すことになる。「こども」というには語弊がある「未成年」の集まりには、尊重すべき「個」を認めなければならないと私は思う。ブレーンストーミングとKJ法をおぼえらたら会は10倍楽しくなる。もしそれ以上のことを知りたいと思う勇気があったら「あたしんち」をピンポンしてください。

三々五々、キラキラした顔が家路へと帰っていった。夜も遅い。心配してたらおとーさん、おかーさんが迎えに来てた。どこの親も自分のこどもは心配だよね。

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通勤

サラリーマンなので当然のことながら通勤している。

片道1時間45分。
往復3時間30分。
一ヶ月20日出勤すると70時間。
一年で840時間。

365日のうち35日間通勤に費やしている計算になる。なんともったいないことだろう。満員電車で何もすることが無いので、耳にヘッドホンをしてひたすら寝ている。周りの人はといえば、無言である。何百人もの人が、1時間以上も無言のままでじーっとしているわけだ。考え方によっては非常に不気味だと思う。もっと不気味なのは、乗っている人間層が私くらいの中年サラリーマンと若いOLらしき女性が圧倒的に多い。若い男性は、さっさと家を出て、都会で一人暮らしをしているのだろうか?中年おばさんは、パートだから通勤が遅いか専業主婦か?

電車の中では、出会いも夢も希望も恥じも外聞も無い人間輸送箱。だから結構面白い場面に出くわす。すッピンで乗って来て、化粧をしている女性なんてザラ。朝飯食ってるやつ、DVD見てるやつ、パソコンやってるやつ(たまに私も、、)、漫画読んでるやつ、ケータイやってるやつなどなど、、、、先日、乗り換えの日本橋駅でビックリした。若い女の子がこれ見よがしのいでたちで(ローライズのジーンズに流行の服で)大きな鏡を前に鼻毛を抜いてる。左手で鼻をブーにして右手で鼻毛を抜いていた。なんとも形容しがたい。

頼む!これを見ている中高生たちよ、これだけは真似をするべからず。

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はじまりはじまり

5回目のミュージカルがついに始まった。久しぶりでも初めてでも「こども」の顔はいつも初々しい。オーディションという名目だったのでこどもたちは、緊張感がある。今回はプロの演出家を招いてのミュージカル。期待と不安はこどもだけじゃない、私だってドキドキ。でも気さくなでパワフルな天野さんにフォー! 良く見りゃ今回の旗振りのMさんEさんもパワフル!フォー! きっちり同期してる感じ。話のテンポがいい。どんどん行きましょう。

でもってこのブログでリサイクルしてた曲も再び日の目を見ることになりそう。ウレシイ!フォー!良く考えれば、たった一回のためにつくった曲がずいぶん溜まってるのってもったいない気がする。なんとかしよう。次のミュージカルは本も曲もできていて、音響もワーク後は私の手から離れるので、今回は楽かなぁ、だったらいいねぇフォー。

こうやって余裕が出てくると、「考える」ことが趣味な私としては他の人が考えられないことを発想するのが楽しみになってくる。

何しようかな??     今日は楽しかった。    だから疲れた。    寝よう。

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こどもの日

何もしない一日だった。朝からずっと家にいて、娘と遊んでいた。昼過ぎに息子が部活から帰ってきたので、賑やかになる。何処へも行かずに、半日一家4人が家にいる日は初めてかもしれない。何をするわけでもなく、自分の好きなことをして時間を費やす。たまにじゃれあい、ふざけあい、話をしたり、駄洒落を言ったり。こどもはゲームやパソコン、本を読んだり、お菓子を食べたり。家内は、ベランダに花を植え、満足そうだ。そんな何気ない一日は、とっても贅沢な気分になる。本当は、これが本来の家族の姿なのかもしれない。何気ない、ただただ普通の一日。ありそうで今まで無かった貴重な一日だったと思う。

ゴールデンウィークという年に一度のでっかいお休み。

皆さん何をして過ごされましたか?

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きもちつたえあうことを

作詞:作曲  og3

私の声は、とても小さくて

君には全部届かないけど

少しでも、聞いてほしい

この手のひらは、とても小さくて

大きなものは、つかめないけど

少しでも、見ていてほしい

思いを伝える声を

暖かい、手のひらを

やさしく受けとめて

ほしいから

※いつでも、どんなときも

心かよわせることは

苦しみや、悲しみを歓びにかえる

いつでも、どんなときも

気持ち伝え合うことを

この声とこの手の中で作るのさ※

みんなの声は、とても楽しくて

私の歌は、目立たないけど

耳をすませていてほしい

私の目には、星が輝き

空に雲に 海に山に

呼びかける 限りなく

明日をさがすことや

夢をみつけることを

やさしく受けとめて

ほしいから

※繰り返し

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