道楽者1
私の親父は、私が生まれた年にカメラを買った。
7万5千円だったという。
公務員だった親父の月給は7千円だったというから、いかに高価なものだったか良くわかる。
しかし高価だった、、、というより「よくそんなもん買ったなぁ」と考えたほうが正しい。
家計はどうなっていたんだろう?
現像機器まで買い揃え、自宅で焼いていたというから相当なもんだ。
だから私がこどもの頃の写真は、やたらある。
しかしそれだけでは終わらない。
FUJIの8mmカメラを買い、映写機まで買い込んだ。
その後スーパー8まで手を出している。
親父は話さなかったが確か16万円という値段は、記憶している。
だから我が家の記録はかなり壮大なものだ。
また祖父が買ったという2眼カメラは戦後間もない頃らしい。
長男が生まれたときに、親父からカメラをもらった。
新し物好きだから、どんどんカメラが増えていった結果である。
しかし私にくれた翌月には、すでに最新のカメラを持っていた。
でも私はあまり写真に興味は無く、もらったカメラで何も考えないでこどもの写真を撮っていた。
しかしDPEからの出来上がりに不満が残り、自ら墓穴を掘ってゆくことになったわけです。
「血は争えない」というは全くそうだ。
自分のこどもの肌はもっと綺麗なはずだ、思い始めた頃にはもう遅かった。
標準ズームと望遠ズームを買って、高価なリバーサルフィルムを何十本も使った。
その頃東京の台場に住んでいたので、こどもが寝たあとは、自転車のカゴに三脚、カメラ、缶ビール2本を入れ、ひたすら夜景を撮っていた。
夜景撮影だと露光時間が30秒~1分以上かかり、日中の撮影とは比べ物にならないくらい長い時間がかかる。
3脚たてて、雲台にカメラつけて、ジロジロ周りをみて、またジロジロとファインダーを覗く。
貨客船やユリカモメ、レインボーブリッジ、新未来都市のようは夜景など、被写体には困らない。
しかし一晩でもフィルム一本撮れない。撮れて10枚くらいかな?
アベック、警備員、警察がよけいな邪魔をしてくれる。
こちらも負けずに毎晩、毎晩、定点観測のように撮り続けていた。
このアベックは、最初は座っていたんだけど、シャッター切る寸前で立ち上がりこの抱擁が始まってビックリ。30秒以上もよく動かなかったぁ、感心しました。
小遣いの殆どは写真になっていた。
なんだかんだ言いながらビデオカメラも買ってしまったし、、、、、(もう壊れました)
時代は変わり、デジカメへ!
あの親父が買わないはず無い。
買ってました、プリンターも持ってました。
先日その親父からデジカメをもらいました。
お袋がいいました。
「お前がもらわないとお父さんは、つぎのが買えないでしょ!」
遠慮なく頂いてまいりました。
今度は何を買うのだろう。
一緒に選んであげました。
それもきっと私の手元にくるはずですから。
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コメント
こんばんは♪
なんとも羨ましい話!!!
「何とも」にはイロイロな意味も込めて・・・
先日は楽しいひと時、ありがとう。
時には一緒に絵を切り取りに行こうか!
masy... (^^v
投稿: masy | 2006年7月23日 (日) 午後 06時18分