竹ギター日記1
非常に唐突な展開だが、我が家に「竹のギター」がやってきた。
遡ること、5月27日に出かけたTOKYO ハンドクラフトギターフェス 2007 がきっかけである。
昨年来、我が家には、いつも借りてきた「高級な」猫がおり、貧乏人にとって勿怪の幸いとばかりに弾きまくっては悦に入り、あたかも自分の物のごとくブログに書き綴っている。
と書くと、天邪鬼に聞こえるが、実はそうではない。
自らの経済力で所有できない楽器を心行くまで堪能できることは、まさしく「幸せ」であるとしか言いようが無い。
しかし、、しかしだ、、言い訳のようになってしまうが、自分のライフスタイルと異なっていることは、まず間違いない。
いまだに私の愛器は、中学生の時に友人から八千円で買った1975年製のモーリス社製W-20なのである。
飽きもせず30年以上も弾いていると、けっこう鳴る。
というか、、、借りている120万円の猫?よりも味のある鳴り方をしている。
もとい、、、、
私のブログ見ていただいた、このギターの製作家であるクレオバンブーの中村さんから、コメントを頂いたことに端を発する。
当日このギターを弾いた瞬間、自分が探していた「何か」があった。
混沌と考えていたが、その時答えは出なかった
中村さんという方は、独特のギター論をもっており、ギター作家というより研究者といったほうが正しいと思う。
「ギター」という小さなコミュニティを同じ考えの人と共有することを「コミュニケーション」と言う。
中村さんは偉大な方だった。
互いのブログを行き来しているうちに、答えが見つかってきた。
今まで自分が追いかけていたギターは、全て模倣から生まれた音や演奏や思考、音楽性、人間性、地域性、などなどアメリカンナイズされた文化が原点となっていた。
フォークソング、ブルーグラス、カントリー、、、、、、、ってこれ演歌や民謡でしょ?
50年代、60年代のフォークソングは全部Martin、Gibsonでなきゃいけないの?
高価な、希少価値が高い、付加価値のあるギターって全部良いギターなのかね?
それは全部、良い音がするの?
と勘違いして無駄な銭出して買ってない?
ハカランダという木材は、絶滅寸前なんだということをみんな知っているの?
楽器では輸入できても木材じゃ輸入できないんだよね。
地球に厳しい楽器を買って音楽やっても、きっと、きっと、ちっとも面白くない。
それじゃ、、、、、「じゃぱにーずぎたぁ」って何さ?
年甲斐も無く一生懸命考えた。
中村さんと考えは同じだったらしい。
このギターを貸してくれた。
竹のギター、、、なんていうと皆「キワモノ」と思うのかな。
固定概念がある人はそれしか無いんだろう。
そんな人は、小さい世界しか持てないんだろうね。
中村さんいわく、これは試作品。
弾いてて解る。
このギターには爆弾が詰まってる。
凡人には考えられないほど試行錯誤した痕跡や、未完成のエネルギーがそこいらじゅうにちりばめてある。
この楽器は、世界に一つしかない。
聴きたい?
もうちょっとまっててね。
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