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子キャン~帰路途中

今年のキャンプ場は、auは圏外。
昨年同様、子キャンの生中継ブログを期待された父兄には残念な思いをさせてしまったかもしれない。
しかし、文明が届かない場所だと時間が豊かに流れる。

帰りのバスで144通のメールを受信した。
このメールを読む時間を自然が奪うことで、こどもたちと山で過ごす時間を豊かにし、互いの気持ちを深く知り合うことを可能にしたような気がする。

こどもたちが企画、運営する中におとながどういった形で参加するか、立場、役目等々、自分の立ち回りをする中で「私はおとな」を考える余裕があった。

というのも、毎年私がやっていたことをどんどんこどもたちができるようになってゆくことで、時間にゆとりができた。
薪割り、竈の火、鉈の管理等々。

自分の視点が高くなるのでいろいろと見ることができたのは収穫だ。

私が考える以上に、こどもが育ってゆく速度が速く感じられる。

丸々3泊4日、肉親以外のこどもたちと過ごす時間を持てるということは、おとなとしてとっても幸せだと思う。

ほんの僅かだが、家族同様、場合によってはそれ以上の関係をもてる瞬間がある。
これが醍醐味だ。

毎年のことだが、私は夜更かしを怒らない。
小学生が全員寝るまで、コミュニケーションを続ける。
中学生も、高校生もいる。

おとなだからといって、あちこちに作られたこどもの小さなコミュニティに踏み込んでゆくのは好きでない。
遠巻きに見張っているわけだが、いつしか膝の上や、背中にこどもがいたりする。
何がそうさせるか?の答えは、「それがキャンプだから」という簡単な答えだった。

私は「先生」ではないので、全員と話ができない。

しかし、半分くらいのこどもからは、結構内容濃い話題まですすむ。
こどもと話すときだけは、自分を忘れてしまう。
お互い人間なんだな~と確認しあうような感じだろか?

昨年も書いたが、自然の力は素晴らしい。
緊張を解きほぐす力は、人間の力だけでできる能力をはるかに超えている。

その中で、初参加の4年生の顔がどんどん変わっていったのが印象的だった。

途中から参加をしてくれた青年。
仕事もあるだろう、バイトもあるだろう、既に自分の生活を確立しているであろう。
しかし、集ってくれた。
そこにNPO佐倉こどもステーションの本当のチカラを見た。

各所では、お迎え隊が準備を進めている頃だ。
まだ、帰路途中のバスのなかでは、レクが続いている。

まだ子キャンは終わっていない。

つづく、、、、、、、








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