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2007年11月

みかんMAN

めっきりと寒くなり、冬が駆け足でやってきたようです。
実家から雪の便りが届いたかと思ったら、初雪が20cmも積もったとかで、びっくり冬の到来ですね。

冬といえば、みかんの季節です。

ただ剥いて食べても面白ろくないので。
Mikank

何かできそうです。


Mikannohara

予想以上に良いできばえにびっくり。

で、今朝の朝食で思いついた「みかんマン」

Mikanman

みかんマンに見えますかね?

くれぐれも、これは無加工のみかんです。

手だけで剥いています。何の道具も使いません。

娘が顔を書いてくれましたので、いきおいでアニメにしてみました。

あはは~いけます!

みかんマン!

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徒然

復調しつつある。
この夏からカウンセリングを受けたことで、世界が変わった。
回復したとか自分自身を取り戻したというより、新たな自分が発見できたようだ。
この年になって「気づく」という経験をしたことに、新鮮さを感じる。
知らず知らずのうちに、自分の人格の中に閉じこもり、臭い物には蓋をし、居心地が良く温い考えの中で時間をおくっていたようだ。
「病を清算せよ」というカウンセラーの言葉の意味が解り、今まで蓋をしてきた「嫌な過去」を模造紙にぶちまけてみた。
「嫌な過去」を思い出すということは、直接精神的に不安定になるので、避けてきた。
不安や苛立ち、怒りを多分に伴う。
望んですることではない。
思い切って書き出してみた。
しかし、書き始めると止まらない。
何かにとりつかれたように休むことなく、一気に書いてしまった。
「嫌な過去」ほど鮮明に憶えている。
膨大な記憶量だった。
模造紙は、そんな見たくもない文字ですっかり埋まった。
そんな大量な「嫌な過去」を思い出したのに何とも無かった。
時間の経過が、毒を薄めたのだろうか。
気が付くと4時間経っていた。
あぁこれだったのか。
病から学べという意味もわかった。
それに、むしろすっきりした。
5年も病んでいると、そこまで至るは極めて辛い道のりだった。
今更ながらこんなことを書いているが、これは10月16日の出来事だ。
公然とブログに書くことか?と悩んだが、また書くことによって新たな世界が望めれば、それに越したことはない。

その模造紙をもって明後日、病院へ行く。
もう悩むまい。

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WSO11Sh

やっとつながった それにしても、すごい。。 電車に乗ってても繋がるのもすごいけど、字が打てるのも結構なことだ。 それにしてても、回線の遅さには閉口するなぁ、。。。。。。 64KBPSも久しぶりだ。 なんだかタイムマシンに乗っている、気分だね。 でも、これでも何とかなる時代になったんだろと思えば、納得せざるを得ない。 ここまでくるのに、結構時間を要したが、小さいなりにキーボードを打ち始めると、あぁこんな時代がきたんだなぁと実感する。 まぁいい、それも新しい文化になるんだろう。

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秋の子キャン

秋キャンに行って来た。

いつ始まるかわからないSKSのミュージカルのつなぎで参加し始めた「子キャン」だが、早くも3年経ち、今年からスタッフ?になってしまうと、また感じ方が違ってくる。

いつかも書いたが、おとなとこどもの時間の流れ方、感じ方、考え方、は大幅に異なる。

こどもたちが、初めて子キャンに参加した頃の刺激や感動は、大人が考えている以上に大きいのだ、と初めて知った。
そしてそれは、自分の成長とともに、その思い出も成長してしまうのだ。
よく、思い出は美化されるというが、まさしくそのとおりだと思う。

世代が変わり、「連れて行ってもらっていたこども」が「連れてゆくこども」になった時、初めてそれを知る。

昔読んだある本を思い出した。
師弟という関係の場合は、弟子が師匠と同等の評価を得るには、それ以上のものを見つけなければならないという内容だった。
例にあげていたのは、ラーメン屋。
繁盛していた店だが、先代が亡くなって、息子が継いだが、材料から作り方まで全て同じなのに、いっこうに客が戻ってこないという枕から始まる話だった。
悩んだ挙句、年配の常連に打ち明けると、店が建っている地面からの看板やドンブリや割り箸に至るまで先代のラーメンだったことに気づく。
息子は店をたたみ、他の場所で店を開いたら、大繁盛したという落ちで終わる。
これは、もちろん世間一般の人間の当たり前に判断する「キモチ」の尺度。
作っている親父自身がすでにラーメンなのだ。
もうしょうがない。

しかし昔もずっとこうだったのだ。
天皇が変わると、都も変わるという時代があった。
都自体を引っ越してしまうという途方も無いことをやってたわけで、それが日本だけかというえば世界的に行われていた事実だから、それが間違いだという理由は無いはずだ。
新天地などといえば、結構わかりやすい。

ラーメン屋の息子は先代と同じ作り方をしていた。
それを模倣という。
真似をする意味だ。

とある画家は「全ての芸術は、模倣から始まる」と言った。
模倣すると誰しも壁にぶつかる。
それを超えたところが芸術だということらしい。

ラーメン屋の息子が開いた店の目玉は、自身のオリジナルであったということだ。

なにもブログでこんなことを書く理由は何もないが、若者へのメッセージとして流しても罪にはなるまい。

たった、一泊だったが、それにしても4年生は、キラキラのいい顔してたな。
みんな気が付いたかなぁ?
ここに既に答がありそうなんだがねぇ、、、、



夢×挑戦ブログ参加中

http://blog.superdry.jp/join/2007/04/og3_7701.html

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欲望おもむくまま

いきなり、飲みに行ってしまった。
いきなり、友達を誘って。
昨夜は、典型的な酒飲みオヤジ。

大学時代から通い始めたJazz喫茶。
時代とともにLive Houseと名前が変わった。

引っ越して来て近くなったといえ、ずいぶんご無沙汰だったなぁ。

071103_204301

土曜というに、口開けの客。
相変わらず商売っけがない。

くりぬかれた大理石の上にあつらえた2枚のDenonのターンテーブル。
4本のアーム。
Mark Levinson、Accuphase、Thresholdを通った信号は、WestLake TM-7から音として最高の空間を作り出す。
2WayのJBLを鳴らすときはもちろん真空管だ。

この数行を読んで、驚かれた方は、よほどの通だろう。

この店の音は、まさしく至高のアナログだ。

おそらくこれだけの音を聴きながら、その辺の居酒屋と同じ値段で酒を飲める店は、他にはあるまい。

開店当時、WestLake TM-7は、六本木のSony Studioにしかなかったそうだ。
Jazz Life、SwingJournalといった雑誌では有名すぎるこの店だったが、時代は残酷に風化させていった。

白髪のマスターは、私の親父と同い年。
目をわずらって、愛車のZに乗れなくなったとこぼす。

ぼちぼち腰が曲がってきたママ。
町の灯を絶やさないようさ、店は開けないとね、、、、なんて言われると、寂しいもんだ。

何かしてあげようと思っても何も出来ない、しょうがない。

いきなりの誘いに、快く足を運んできてくれた旧友に感謝しながら飲んだ。

そういえば、うちの娘は「親友」を「心友」と書く。

なんだか感慨深い夜だった。

また行こうっと。

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