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秋の子キャン

秋キャンに行って来た。

いつ始まるかわからないSKSのミュージカルのつなぎで参加し始めた「子キャン」だが、早くも3年経ち、今年からスタッフ?になってしまうと、また感じ方が違ってくる。

いつかも書いたが、おとなとこどもの時間の流れ方、感じ方、考え方、は大幅に異なる。

こどもたちが、初めて子キャンに参加した頃の刺激や感動は、大人が考えている以上に大きいのだ、と初めて知った。
そしてそれは、自分の成長とともに、その思い出も成長してしまうのだ。
よく、思い出は美化されるというが、まさしくそのとおりだと思う。

世代が変わり、「連れて行ってもらっていたこども」が「連れてゆくこども」になった時、初めてそれを知る。

昔読んだある本を思い出した。
師弟という関係の場合は、弟子が師匠と同等の評価を得るには、それ以上のものを見つけなければならないという内容だった。
例にあげていたのは、ラーメン屋。
繁盛していた店だが、先代が亡くなって、息子が継いだが、材料から作り方まで全て同じなのに、いっこうに客が戻ってこないという枕から始まる話だった。
悩んだ挙句、年配の常連に打ち明けると、店が建っている地面からの看板やドンブリや割り箸に至るまで先代のラーメンだったことに気づく。
息子は店をたたみ、他の場所で店を開いたら、大繁盛したという落ちで終わる。
これは、もちろん世間一般の人間の当たり前に判断する「キモチ」の尺度。
作っている親父自身がすでにラーメンなのだ。
もうしょうがない。

しかし昔もずっとこうだったのだ。
天皇が変わると、都も変わるという時代があった。
都自体を引っ越してしまうという途方も無いことをやってたわけで、それが日本だけかというえば世界的に行われていた事実だから、それが間違いだという理由は無いはずだ。
新天地などといえば、結構わかりやすい。

ラーメン屋の息子は先代と同じ作り方をしていた。
それを模倣という。
真似をする意味だ。

とある画家は「全ての芸術は、模倣から始まる」と言った。
模倣すると誰しも壁にぶつかる。
それを超えたところが芸術だということらしい。

ラーメン屋の息子が開いた店の目玉は、自身のオリジナルであったということだ。

なにもブログでこんなことを書く理由は何もないが、若者へのメッセージとして流しても罪にはなるまい。

たった、一泊だったが、それにしても4年生は、キラキラのいい顔してたな。
みんな気が付いたかなぁ?
ここに既に答がありそうなんだがねぇ、、、、



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コメント

私が師匠と尊敬する山本さんは

人は何かをなしても半分の人生
それを継承できて一つ
自分を超えさせて上出来

と言った

継承できる物をなして一丁前の人生
それを超える継承者を作って上出来の人生

自分はまだ半分なんです
そう思うから精進できる


投稿: クレオバンブー中村 | 2007年11月12日 (月) 午前 06時55分

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