流浪
今日、カウンセラーからC.G.ユングの「人生の正午」という話を聞いた。
どうやら私は、その正午をまわったらしい。
以前は自動車レーサーのような生活に人生を感じていた。
きまったコースを誰よりも速く走ること。
そしてレースに勝って賞金を得ること。
財を成し、それなりの地位を得た。
家庭を持ち、安住の空間を手に入れた。
最近、仕事が面白くない。
レースカーは、各駅停車の電車になった。
終着駅が見えている。
車窓の景色を見ながら、穏やかな人生をおくることが正しい生き方なのかもしれない。
少なくとも、きちんと午前中を生きられた人は、そうであろう。
しかし、そんな人は稀だと思う。
ほとんどの人は、おくってきた人生に多かれ少なかれ後悔を感じているはずだ。
正午をまわった人生は、影と日向が逆転する。
無かったはずの後悔があらわになる。
量を求め、外へ外へと膨大なエネルギーを費やして、拡大していった頃とは正反対となる。
質を求め、内へ内へと人生の深みを追求するようになる。
本来、私は何をやりたかっただろうか?
考えている。
きっと何かもっとやりたいことがあるに違いない。
気がついてよかった。
気がつかないままだと、不倫、浮気、熟年離婚、失踪、アル中、道楽借金地獄、、、、、
などがその結末だという。
今年は年男。
次の年男になるときは還暦だ。
そう考えてしまうと短そうに聞こえる。
でも正午をまわった人生は、きっと長いだろう。
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