家族
伯母の見舞いで実家に帰っていた。
かつては「関東の奥座敷」言われたほどの温泉場だが、三連休だというのに閑散としている。
実家の前の駐車場にも車が無い。
この一年で近所にある大所のホテルが次々と閉館、休館になってしまった。
私がこどもの頃、駅には何十人もの番頭さんが旅館の旗を持ち、客引きに案内にと賑わい、通りには浴衣姿の客が行き来する下駄の音が一日中聞こえていた。
新緑、避暑、紅葉、湯治、登山、スキーと一年中客が絶えなかった。
高度成長期にはモーレツサラリーマンたちの団体慰安旅行があり、またそれを支えた家族の旅行があった。
それぞれは、ここで浮世を忘れ、垢を落とし、珍味をつつき、酒を酌み交わし互いの絆を深めた。
大いなる山はそれを眺める人の心を豊かにし、渓谷の流れはそれを眺める人の心を洗い流した。
同僚であれ、友人であれ、家族であれ、そこでは互いの感性を確認しあうがごとく、延々と話が続いたであろう。
時代が変わり、「旅」も変わった。
組織の間違った個人主義的発想から、団体旅行が無くなった。
遠距離通勤が減らす家族との時間が会話が減らし、間違った家族サービスを作る。
勘違いな「プライベート」が大浴場を嫌い、仲居さんを鬱陶しがる。
温泉場ならではの「サービス」という人のぬくもりに、金を払うことを「無駄」と考えさせるパンフレット。
湯の成分、効能ばかりを流すインターネット。
やれやれ、、、、、、
家路に着いた新幹線、3号車のドアサイドに座っていつものように落語を聞いていたが、一瞬聞こえなくなった。
熊谷駅。
ホームで小さなこどもを抱いて、大粒の涙を流している女の人がいた。
「元気でね」
聞こえないけど、唇がそう動いている。
「うん、大丈夫だから」
笑っているが、こぼれ落ちる涙は、どんどんふえてゆく。
走り出す新幹線の車内を手を振りながら小走りする男の人。
異動かな?単身赴任?
ここでも家族が引き裂かれてゆく。
隙間の無いギチギチのモラルは、必要悪だろ。
そんなことを感じてしまう私は、はたして幸せなんだろうか?
家に着いて、いつものように一家4人で夕食を食べる。
ニュースで、桜の開花宣言をしていた。
そんなことは、桜に聞けよ。
何となく腹が立った。
もっと自分で感じなきゃだめでしょ。
人間は、アナログなんだ。
音楽も。
| 固定リンク | 0
« エレキギター日記1 | トップページ | 手紙 »
コメント
私も信州の温泉町で育ちました
御多分にもれず今は惨たんたる有様です
良かった時期の経営者たちはみんな死に
借金のかたに跡を取らされた息子たち(同級生)
今倒産に追い込まれたりその危機にある
久しぶりに会うと自分の人生はいったい何のためにあったんだと思うと言っている
家族はいずれ分散する子供が育ちひとり立ちすれば当然の成り行き
しかしそこまでの過程は一番人生の幸せな時期でそこが後の子供の人生に大きな影響を与える
今社会はここが忘れられているような気がする
投稿: クレオバンブー中村 | 2009年3月22日 (日) 午前 09時37分