ボランティア
すごく良いことだ。
日本中がボランティアでいっぱいになれば日本は素晴らしい国になると思う。
実は、いままで自分がやってることがボランティアだと気づいたのは、つい最近のことだ。
ボランティアというのは、自らがすすんで誰かのために何かをするものだと思う。
しかも無償で何の「みかえり」も求めない。
誰かに何かを頼まれてやるのは「お手伝い」だ。
経済大国のニッポンで今まで受け入れられなかった理由が良くわかる。
人間は「何か」をすれば必ずその「みかえり」を求める。
それは「お金」だったり「社会的地位の向上」だったりする。
ボランティアをすることで「その次の自分」をシュミレーションしてしまう。
「やったこと」に対して、「やった分」を求めてしまう。
そう考えながらボランティアをすると、慈善であるはずの好意が「ボランティアをされている側」に」とっては「でしゃばり」「余計なお世話」「迷惑」と受け取られてしまう。
家族や身内、自分の最も大切な人を亡くした方たちの心中は、悲痛のどん底にある。
そんな方たちを元気づけようとするタイミングは、とっても難しい。
時間をかけないといけない。
私だったら、、好意とわかっていても、いきなりやってきた垢の他人がそうであればきっと「ほっといてくれ!」と言うだろう。
難しい。
これからが難しいと思う。
生きてゆく自信が生まれ、心にゆとりができない限り、私が竹ギターを弾いてもしょうがないのだ。
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