くり抜きギターへの想い~その1
残念なことに我が家にはギターアンプが無く、このギターの音を心から楽しむことはできません。
願わくは、小さめのチューブアンプが欲しいところです。
そんな理由でここに書くことは、自分自身が納得しないのですが、、、、
og3「ありがとうございます。18日のギター講座が終わったら、すぐに返しますので、、、」
山本さん「そんなん、いつでも、ええよ。」
しかし、いつまでも甘えているわけには、いきませんね。
5年前。
あの時、私が最初に手にとったのは、竹ギターでは無く「くり抜きギター」でした。
会場の一番奥、左隅のブースに2台並んでいました。
手に取った瞬間のネックの感触は、今だにおぼえています。
小さな子どもの腕を触ったような柔らかく優しい、サラサラとした感触でしたね。
人間は、生きている限り頭を使い、さまざまな創造をします。
その創造は自由であり、現実的なモノもあれば、創造を絶するような荒唐無稽なモノもあります。
後者が現実になると、普通は驚くはず。
驚かない人は、その現実性が認められないのだと思います。
そんなモノが良いわけない、と。
特に長い間人生を重ねてきた人の多くは。
そうしないといままでの膨大な経験や知識などを否定することになるからでしょう。
もう変えることができない価値があると勘違いしている自分に気がついていないんだと思うわけです。
私は、12歳から「趣味で」ギターを弾いていました。
なので「これがギターだ!」に、がんじがらめになっていました。
自分の人生も「がんじがらめ」でしたね。。。。
このギターに出会うまでは。
くり抜きギター
考えることは容易いけれど、それを現実に作ってしまうとなると創造を絶します。
木の塊を掘るわけです。
その部分部分で厚みを変えながら掘るそうです。
しかも手で。
器ではなく、楽器ですよ。
経験の浅い若い方が、自分の創造力を持って挑戦したのだったら理解できます。
しかしソニードの山本さんは、私よりも二回り上のねずみ年。
偶然にも親父と同い年です。
もしあの時、私のブログへのコメントが山本さんだったら、、、、
私は「くり抜きギター」を弾いていたでしょうね。
つづく
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コメント
どんなギターなのでしょう
きっと人生を映すくらいのすごいギターなのでしょうね。
投稿: ササン | 2012年2月25日 (土) 午後 09時28分