きもちつたえあうことは
文字にするということは、楽譜を書くことに似ている。
そこで自分が何を表現したいかを真剣に考えて表記しないと誤解を招く。
また、それを書き残した人物に会ったことがあるか無いかで随分と違う。
ちょくちょく会って、その人となりをよく知っていれば、そこに書かれた文章がどんな駄文でも難解な文章でも、理解するは可能だ。
しかし、全く会ったことがない場合、その人を想像することが必要であり、それはまた楽しくもある。
ある文章で
「ばか!」
と書いた場合
愛情なのか
憎しみなのか
成り行きなのか
その人を知っているか否かで、受け取り方は全く違う。
それに対して、会話は即興だ。
いちいち自分が話すことを書き留めない。
そして残らない。
だからとめどなく流れる。
そこには、自分が表現したい言葉が優先する。
表現するほうが優先する。
真剣に考える聞き手は、少ない。
聞いているようで聴いてない。
聞きながら次の言葉を考えている。
コミュニケーションの落とし穴がある。
よく考えると音楽も自由では、なかったりする。
そんなことを考えてしまう。
梅雨は嫌いだ。
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