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原点

小学校4年生になるのが待ち遠しかった。
4年生になると音楽クラブに入部できるから。

私のふるさとは群馬県利根郡水上町という谷川岳の麓にある温泉場。
現在は合併により「みなかみ町」というひらがなの表記に変わっている、

水上町立水上小学校
関東の奥座敷と言われた頃でその生徒数は600数十名。
そんな山の中の小学校に音楽クラブがあった。

入部前だったかな?
放課後、音楽室に行くと音楽の先生からピアノやエレクトーンの手ほどきをしてもらえた。
当時10歳?だった私は、それが楽しくて楽しくて、親にピアノをねだったおぼえがあって。
しかし我が家はピアノなど置けないボロ屋。
父も祖父も公務員という家庭には、高価なピアノなど買えるわけはないです。
だから小学校は、私のパラダイスでしたね。

当時、音楽と嗜むのは女の子のほうがすごく多かったので、男子が行くとけっこう面倒くさい。
これってけっこうビビルのね。
身におぼえ、ありませんか?
だから友達を何人かそそのかして、音楽クラブへ入部。

右も左もわからない私は、ほぼ牧場の羊。
初めての曲は「マラゲーニャ」
そして担当楽器は、カスタネット。

カスタネットなんて馬鹿にしてたけど、その曲はフラメンコ。
地獄のような楽譜、、、、、
出番が多いので、ず~っと叩かなきゃいけない。
超速い16分音符なんて4年生の手じゃまず叩けない。

そこで、、、、
誰が思いついたか(先生か?)カスタネットを両手にもって、膝に打ちつけて音を出すと言う奏法。
これイケるんです。
16分音符が全然間に合う。

下の校舎(これを知ってる人はコメントよろしく)の体育館で来る日も来る日も練習。
夏休みなんて無かったような気がするなぁ?

毎日毎日両手に持ったカスタネットで膝をペチペチ。
そのかいあって群馬県大会で最優秀賞。

次は東日本決勝大会。
もう町をあげて協力してもらっていたような気がします。

膝は、アザだらけになり湿布を張って、、、、
叩く場所を変えていくので、太ももがずーっと青くなってました。
それでも合奏って楽しいわけです。
自らの身体の痛みをもってアンサンブルの面白さを感じました。

真冬の2月。
いざ東京へ。
TBS子ども音楽コンクール東日本決勝大会。
大勢の父兄に見守られて演奏したのは、虎ノ門ホール。
緊張のあまり記憶がありません。
おぼえているのは、故山本六郎アナウンサーにマイクを向けられて何か聞かれたことだけ。
その結果がどうだったか?もおぼえていません。

恩師は、笛木達雄先生。
もじゃもじゃ頭で、牛乳瓶の底のような分厚いメガネで、いつもモクモクとタバコをふかしている。
低い、でかい、ダミ声、叱られるとションベンちびりそうになる。
でも音楽への情熱を持っている。
生涯忘れることはできない大好きな先生でした。

きっとここが私の音楽の原点かも知れません。

時代とともに音楽クラブは金管バンドへ。
過疎化が進む故郷の小学校は、当時の生徒数の4分の1に。

去年のおいで祭りでその演奏を聴く機会がありました。
東日本大会に出場とのアナウンス、、、、
え?それ42年ぶり?

演奏の指揮をとる先生が、やたら熱い。
本当に熱い。
目頭も熱くなる思い。

演奏後、さっそく挨拶に。
そして、いろいろと長い立ち話。

2月に渋谷公会堂で???
絶対、応援に行きますよ、とかえす。

が、ググっても、、情報が全く無い。

悶々として年が明ける。

しょうがないから実弟に問い合わせると、、、。
さすが役場の職員だ。

全国小学校管楽器合奏フェスティバル東日本大会。
2月10日(日)
渋谷公会堂

「おー兄貴、招待状来てっからあげるよ~」
早く聞けばよかった、、、、

行ってきます。
私の後輩、それは小さくても偉大な音楽家たち。












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