さくランドFesta2015 ワンディ・プレーパークと第2回 森の音楽会withフリーマーケット
GWも今日で終わる。
自分の好きなことを始めると、あたりまえのように日常の生活に費やす時間が少なくなる。
と同時に、目や耳からの情報も無くなる。
テレビは、見ない。
満員の通勤電車の中、イヤホンで何かを聴くことも無い。
営業車でのFMラジオのダラ流しもしなくなる。
創作ってそんなもんだとあきらめてはいるが、、、、
若いころ。
ベルボトムのジーパン、下駄を履いて、ギターを背負って歩く中学生だった。
時代は、1970年前半かな?
そもそもフォークソングというのは、反社会的なメッセージを歌うものだった。
60年安保に生まれ、70年安保を見ていたのは小学生の時。
西新宿や安田講堂、そこに歌があり、何のことやらわからないままテレビを見ていた。
そして時代は、シラケた世代と言われる四畳半フォークへと移ってゆく。
直接そこを目指すのは、田舎の中学生にとっては、とてもじゃないけど無理なこと。
世間の目が厳しすぎる。
だから極めて真面目に、そして正当な理由でギターを始めた。
それがクラッシックギターだった。
例えば、子どもたちために、あるいは信頼を置ける人から頼まれて、または愛する家族のために曲を作る時。
じっと静かに置いておいた、一番上の一番きれいな上澄みを歌にする。
今までずっと、そんな感じで作っていた。
しかし、上澄みばかり使っていると、下に沈んだ沈殿物ばかり残る。
ダムみたいなもんだ。
実は、これが本当に自分が歌にしたいモノだったりする。
学校の部活動。
体育系の友人がうらやましかった。
試合に行く、大会に行く。
それは全部、社会から認められたこと。
某ポプコンや都市部でのライブに行くとき、親や学校、誰にも言わず出た。
帰りは、まるでおろし金で顔面をこすられるような気持ちで上越線に乗った。
だからこんな顔をしてるわけじゃないが、、、、
今回は、とうまさくの相棒が曲を作って唄った。
しかも一人で。
そして、いとも簡単に沈殿物を歌にした。
おろし金で顔面をこすってやろうかと?と思った。
そんな親父は、宅録をやっている。
自宅録音だ。
ヲタク録音ではない。
写真と違い、その時の声はいつまでも生きている。
息子や娘の歌は、そのままの声でいつまでも歌い続けている。
ふと聴くたびに、タイムマシンの乗ることができる。
それにしてもいい時代になったもんだ。
19の娘の歌を「ちゃんと」聴いてくれる人がいる。
私が生まれたのは山間の温泉場。
ギターを背負って歩いていると、、、
「今日は、どこのお座敷だい?」
そんな時代だった。
今回は、沈殿物をすくって、歌にしてみた。
珍しく相棒の意見を聞きながら。
が、切り口があまりにも違いすぎた。
親子といえど、似て非なる感性。
負けた、、、、
沈殿していたモノを、歌以外に言葉で出してしまった。
巨匠クレオバンブーを相手に。
竹ギターを弾き始めて8年。
そこには、全てGOODな時が流れていたわけじゃない。
相棒の新曲を聞いて、私も刺激された。
それは、おとなとして暴言だったかもしれない。
しかし翌日、優しい中村さんの顔があった。
竹ギターは、進化し続けることを確信した。
私も進化せねばと、、、、
新しい家族。
右のは左利き用です。
左利き用は、アコースティックギターの全生産量の僅か数%
要するに、金にならないから作らない。
それが何を意味することかは、芸術とは無縁です。
そして左は「怨念」がこもったギター。
私は弾いているヘッドレスのスチール弦の夫婦にあたるヘッドレスのナイロン弦。
そして「とうまさく」は竹ギターデュオにかわっていきます。
今回のフェスタは、想像を超える人、人、人、、
そんな中で奔走した主催者、企画、運営の方々には頭が下がります。
と同時に私も参加しながら、次は何をすべきか?がおぼろげならがわかったような気がします。
老いぼれているヒマは無い。
次は秋にやります。
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