森と風とサンタクロースと
日曜日は、舞台稽古でした。
子どもたちに歌を教えてみんなで歌って、午後の楽しいひととき。
終ってから、お迎えの父さん母さんを待つ間の話題は、やっぱりクリスマス。
「og3~サンタクロース見たことある?」
こんな質問で困るog3じゃないですってば。
その昔、サンタクロース役を仰せつかり、やっきになってサンタクロースを調べたました。
こんな質問にカッコ良く答えたいおとなの皆さんへ。
有名な話を転載しておきます。
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サンタクロースはいるんだ
Yes, Virginia, There is a Santa Claus
ニューヨーク・サン紙社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)
ニューヨーク・サン新聞 1897年9月21日 社説欄
本紙は、以下に掲載される投書に対してただちにお答え申し上げるとともに、このようにまっすぐな方が読者におられることを、心から嬉しく思います。
「こんにちは、しんぶんのおじさん。
わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
ヴァージニア・オハンロン」
ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、何もかもわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものがあふれているおかげで、ひとのまいにちは、いやされたりうるおったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どものすなおな心も、つくりごとをたのしむ心も、ひとを好きって思う心も、みんなないってことになる。見たり聞いたりさわったりすることでしかたのしめなくなるし、世界をいつもあたたかくしてくれる子どもたちのかがやきも、きえてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶを見はらせて、サンタクロースをまちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずにおわっても、なんにもかわらない。そもそもサンタクロースはひとの目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。ほんとのほんとうっていうのは、子どもにも大人にも、だれの目にも見えないものなんだよ。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見たひとっているかな? うん、いないよね、でもそれで、ないってきまるわけじゃない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、だれにもはっきりとはつかめないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがかかってるんだ。すなおな心とか、あれこれたくましくすること・したもの、それから、よりそう気もちや、だれかを好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、そのむこうのすごくきれいですてきなものを、見たりえがいたりすることができる。うそじゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけはほんとうのことなんだよ。
サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何ぜん年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。
※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。
翻訳の底本:The New York Sun (1897) "Yes, Virginia, There is a Santa Claus"
上記の翻訳底本は、著作権が失効しています。
翻訳者:大久保ゆう
2002年10月1日初訳
2011年12月9日改訳
2011年12月9日作成
フリー提供ファイル:
このファイルは、インターネットへフリー提供されています。
※この翻訳は「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」(http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/)によって公開されています。
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これは、かなり役に立ちますね。
でもこのまま話すと、頭の良い子からはけっこうバカにされます。
子どもの数だけサンタクロースがいるので、ちゃんと熟読してご自身の解釈で話してあげてください。
ほんでもってクリスマスというのは、何かもらえる日だと勘違いしている子どもになってもらっても親は困るばかり。
もともとクリスマスプレゼントというのは、聖ニクラウス(St. Nicolaus=サンタ・ニコラウス=サンタクロース)がまだ司祭になる前、近所に住んでいた貧しい三姉妹に金貨をプレゼントしたことから始まっているそうです。
それはいわゆる無名募金みたいなもので、金貨は煙突から投げ入れられたという方法。
暖炉には靴下が干してあって、偶然その中に入っちゃったというわけです。
2006年、当時ブログにハマっていた娘に、サンタクロースの名をかたってこんなコメントを書きました。
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何かを求めることがクリスマスではありません。
何かを得ることがクリスマス。
世界中には2億人のこどもたちいます。
将来自分が何をやりたいか、何になりたいかという夢をいつまでも持ち続けることができるように、目に見えないかたちで支えてくれるお父さんやお母さんがいます。
それは、お金でもあり、何かをさせてくれる時間でもあり、心や生活を豊かなものにしてくれるような環境をつくることでもあります。
しかしその2億人のこどもたちは、全員がそうではありませんね。
お金も時間も無く、心や生活が豊かでないと、そのこどもたちはどんな夢をみるのでしょう?
幸せは神様が平等につくったものだと思いませんか?
サンタクロースは、やみくもにプレゼントを配っているのではありません。
世界中のこどもたちがみんな平等に幸せであるよう、クリスマスはあるのです。
St. Nicolaus
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ようるすに世のおとなというのは、ほぼ全員サンタクロースなわけです。
自分が死んだ後も、幸せな生活が続くようになってほしいと願うわけです。
これは、宗教とはまた違いますよね。
今年のクリスマスイヴは、なんと平日ですか、、、
我が家のイブはどうなることやら、、、、
あっそうそう、昨日メールがありまして、イヴイヴの23日に竹ギター演奏の御依頼を受けました。
まだな~んにも決まってません。
うーんそうだな~もし子どもたちが来てくれたら、舞台で歌う曲、飛び入りでやっちゃう?
どうでしょ~~?
ふふ。
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